カノン : オルゴールの時計

何か夢を見ていたような気がする。
くたびれる夢だった。
目を開けて辺りを見回すと、暗い。

厚いカーテンごしに、漏れてくるはずの光が見えない。
まだ夜中なのかしら? 
スタンドをつけると、時計は六時三七分。
あっ、遅刻だ! 

まだ、八月なのに、
こんな暗いこともあるのかしら、と思いながら、
だるい体を起こして、のびをした。

まって、今日はお休みだったんだわ。
休みでもいつものように目が覚まめてしまうのに、
今日は一時間余分に寝てしまった。

枕元のローボードに、
アンティーク風の目覚まし時計が、
カチカチ気持ちのいい音を立てている。

時間になると、可愛い男の子と女の子がシーソーをして、
オルゴールの鳴る変わりだねだ。

結婚祝いに親友の智子からもらったものだ。
重たく体を感じながらも、
ベッドから出て、
オルゴール時計をセットした。

主人と、三歳になった娘は、
気持ち良さそうに、もうひとつの横のベッドで、
いっしょに寝ている。
オルゴールぐらいで目を覚ますことはない。

シーソーの、カッチンカッチンという金属製の音が六回響いて、
パフェルベルのカノンが鳴り始めた。

止めなければいつまでも鳴っている。
カノンは、繰り返しの曲なので、オルゴールにマッチしている。
ひとときの幸せにひたったあと、
食事の支度をと、
ダイニングキッチンに降りていくことにした。

ドアを開けると、すぐ階段があり、ふきぬけになって、
ガラスを通して庭が見えるようになっている。

やっぱり、真っ暗だわ。夜中みたい。
雨でも降っていそうね。
それでも、庭は見えるはずなんだけど・・・・
何だか寒いわ。

階段脇のスイッチを押して明かりをつける。
こんな素敵な家を持てて幸せ・・・。
木の香りが心地いい。
下へ降りてから、犬を散歩させなければと、気がつく。

玄関のドアを開けて、
ポストに新聞を取りに行きながら犬小屋を眺める。
いつもなら、喜んで小屋から出てくるはずが、
来ない。

ブルッと身震いがした。
なんて寒いのかしら。

思わず空を見上げると、
黒い雲が重くたれこめていて、
少し早めに流れている。いくぶん風もある。

中へ入り、あわててレインコートを引っ張り出して、
長靴をはいて、散歩の準備をした。

子供のために飼い始めたのだが、散歩や、食事の世話、
ブラッシング、その外、全て私まかせなので、
嫌になることもある。
でも、犬が嬉しそうにしていると、
まっいいか・・・となる。

芝犬に似た雑種の日本犬で、
1年前に、智子の家で生まれた子犬をもらったものだ。
あっ、今日は、彼、バロンの誕生日だわ。

バロン出ておいで、散歩だよ。
彼は、小屋から出ると、
かったるそうにのびをして、しっぽを少しだけ動かしてみせた。

バロンは、強い力で私を引いていく、
が、今日はただ私の脇によりそっているだけだ。
どうしたの、行くわよ。

いつもの路地を曲がったところで、
急に霧が包みこんできた。
そしてほとんど先が見えなくなった。

私は犬にまかせて歩くことにした。
いつもの道だから、バロンはわかっているもの。

どこからか、パッフェルベルのカノンが聞こえてくる。

家のと同じ時計だわ。
カノンの曲はだんだん近づいて、すぐ足元に聞こえてきた。

下を見ると、草むらの小さなくぼみにあのオルゴール時計が・・・・
うす汚れだいぶ前に捨てられてような感じで・・・・。

人の気配がして振り向くと、
智子が笑顔を浮かべてぼんやりと立っている。

あら、智子じゃないの、久しぶりねえ。

8か月程前、智子は私には何も言わず、
遠くへ引っ越していた。

あの子犬こんなに大きくなったのよ。
あの時計も、とても大切にしているのよ。
カノンは大好きだわ。

カノンの曲はテープを逆にしたように流れている。
落ちているオルゴール時計を拾いあげて、
ぞくっと寒気がした。

時計の秒針が逆に回っているのだ。

そして、思い出した・・・・

子犬のバロンの散歩中に、
綱から離れたバロンを追いかけて、
車に跳ねられた智子のことを・・・・

智子の病室で、バロンと時計を預かることにしたのだった。
その後、智子は天国へと引っ越していってしまった。
智子は、「この時計は、私が死んだらあげる・・・」
なんて、冗談を言っていた。

智子はもう、居ない。
気がつくと、私は智子の墓の前に立っていた。

目の前に落ちているオルゴール時計を拾いあげ、
墓の平らなところに立てた。
そう、この時計はとっくの昔に動かなくなっていたはずだ。

私はすっかり歳をとってしまった。
私の娘は智子と同じ三〇になった。
智子みたいに独りでマンションを借り、優雅にしている。
主人は一〇年前に亡くなった。
バロンは主人の跡を追うように行ってしまった。

預かったオルゴール時計は、五年前に壊れて、
捨てられずにここに置くことにしたのだった。

私は、時計のシーソーをゆらしてみた。
カッタン・・・・・・・・
あたりに一回だけシーソーの音が響いて止まった。

そう、
主人が亡くなってから、朝の散歩は、墓参りになっていた。
主人の墓は、もう少し奥のほうにある。

ともこー! 
智子が居たらなあ。

私は時計をもって、家路への道を歩き始めた。
霧が晴れて、朝日が木々の間からこぼれてきた。

どこからか、パッフェルベルのカノンの曲が聞こえてくる。
あ・・・・・・
私はいつものように目を覚ました。
オルゴール時計は、カノンの曲を流していた。
涙に濡れたほほをぬぐって、起き上がると、
六時三七分だった。

そう、
この時計は、
智子が事故でなくなる前に、私が、結婚祝いにもらった大事な時計だ。
八月なのにやけに暗いと思いながら、
重たい夢を見たような気分で、
だるい体を起き上がらせた。

脇のベッドでは、主人と、
三歳になる娘が気持ち良さそうに寝息を立てている。
今日は休日だ。

もういちど、オルゴール時計をセットして、カノンを聞くと、
ささやかな幸せで心が満たされる。

さあ、バロンの散歩が待っている。
今日も、散歩コースの、智子の墓へ向かった。

霧の中に、智子の姿が見える。
智子のところに、バロンは駆けて行く。
霧が深くなりみんな見えなくなった。

私は、片手で、オルゴール時計をぶらさげていた。
主人が亡くなったのは、いつだったろうか。
あれからずいぶんと、時が経ったように思える。
オルゴール時計は壊れかけていた。

オルゴールのカノンが、ゆっくりと回転して、
最後の音をはじいて止まった。

1997/11/16 発表 1998/01/12 改稿    ひびきひかり


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