ふたりの影法師

 春。それは始まりの季節。新しい人との出会いの季節。新たな恋、そして友情の始まる季節でもある。
 夏。それは出来事の季節。空は青く澄み渡り、人も生き物も最もエネルギッシュになる季節。人々は海に山に出かけエネルギーを浪費し、田舎に戻り家族と再会を喜びあう。いい季節だ。
 ところで、夏は暑い。本当に暑い。ここにそんな世の中の流れから外れた、哀れな青年がひとりいた。
 そいつの名前は武原信幸。僕のことだ。現在僕は、六畳一間のいまどき珍しいボロアパートで、夏と孤独な戦いを強いられていた。
 現在の気温33度、大気の流れ感知できず。強烈な西日が部屋を直撃中。あと二時間は続く模様。武原信幸、現在ゼリースライム中……。時折うめき声をあげる不定形生命体と化していた。
 クーラーはおろか、扇風機すらないこの部屋では、動かないことだけが避暑の唯一の方法だった。念のため言うが喫茶店で涼む、というのも却下だ。所持金108円。今時、自動販売機のジュースも買えない。仕送りが届くのは早くて明日だ。
 日が沈めば少しは涼しくなるはず……。僕と夏の激闘は続いていた。激闘というより一方的に敗退している、という説は却下する。
 そんな思いをあざわらうかのように、電話が鳴った。これまた、いまどき! な、黒電話だ。とてつもなくやかましい。
 ジリリリ、ジリリリリン……。
 やかましい。
 ジリリリ、ジリリリリン……。
 とてつもなくやかましい。「お茶漬けちゅう」とでも紙を貼りたいが、米も残っていなかったのに気づき、さらにいら立ちが増した。
 ジリリリ、ジリリリリン……。
 暴動の条件の第一は空腹だそうだ。うむ、条件は満たしているようだ。
 理性、いいか? ……許可してくれたみたい。
「うっきゃーーーーーーーーっ、がああああ〜〜っ!!」
 ついにキレた。かくなるうえは電話の相手にうっぷんをたたきつけてやろう。
そしてあわよくば米を……と思い、受話器をとった。
「ちわ、武原君元気かい?」
 夏休み中は、絶対に聞きたくなかった声だった。声の主は畠山薫。周囲は僕たちのことを勝手に親友と呼んでいる。だがそれは誤解だ。大誤解だ。
「失恋のショックは癒えたかな?」
 やつは僕にとっては天敵といえる存在なのだ。
「俺が小林さんをとっちゃったからといって、しょぼくれてんのか?」
 まあ、こういう間柄なのである。それも一度ではない。僕が話した女の子と片っ端からくっついてしまうのだ。さしづめ、鵜飼いと鵜の関係か。はたまたヒーローと三枚目の友人というところか。若大将と青大将。これは古いか。
 若大将の気持ちはどうか知らないが、青大将としてはあまりつき合いたくないタイプに違いない。
「で、何のようだ? モテモテ君が電話をかけてくるなんて、珍しいこともあるんだな」
「ははっ、声がきついな。彼女達に好意を持たれたのは、君がもてないからではないよ。ぼくの方が『より』好人物だっただけさ」
 青大将、あんたの気持ちが痛いほどわかるぜ……。
 どういうことか、こちらでは関わるつもりはないんだが、畠山の方から一方的に接触してくる事は確かだった。当人に悪意は無いのかもしれないが、こっちにしてみれば腐れ縁もいいところだった。僕のどこが気に入ったのやら、見当もつかない。
「お詫びというわけでもないんだが、うちの別荘をさ、あそこをきみに貸してあげようと思ってね、感謝してくれよ」
「別にいい。僕は貴重な夏休みを、お前とは縁のないところで楽しむんだ」
 善意には違いないが、どうせ畠山とも一緒に過ごすことになる。
「どうせ、クーラーも扇風機もない部屋で溶けているだけなんだろ?」
 ぐっ、なぜわかるんだこいつ……。
「避暑地の別荘だよ。この前のとこなんかとは違う。避暑地に訪れた女の子と出逢う機会とかも多い。君でも結構チャンスはあるんじゃないかな?」
 ふふん、と、どこか勝ち誇ったような口調で畠山が言う。断るわけがないと確信しているのだ。この、人を知りつくしているようなところが、やつを小憎らしく感じる一因でもある。
 さて、プライドをとって溶けた夏休みを過ごすか、危険をおかしてでもチャンスに賭けるか? 男としての決断やいかに。
「どうせ米を買うお金もないんだろ? 交通費くらいは貸すよ」  
「……わかったよ、お前の勝ち、勝ち!」
 人間、飢えには勝てない。降伏もいたしかたのないところだろう。
 一抹の不安を感じつつも、避暑地のあばんちゅーるというやつに期待して、別荘の場所を聞いた。
「あとで行くからさ、その頃までに彼女を見つけておけよ」
「まかせとけ、今度は、お前がびっくりするくらいの女の子を見つけてやるからな!」  かくして、夏休み以来まともに外出もしてなかった僕にも、ようやく夏らしい出来事が訪れることになった。
 この高二の夏は、すてきな事がありそうな、そんな予感がした。


 今年の春は梅雨がやたらと長かった。だが、うっとうしい梅雨もあがりいよいよ本格的な夏に突入した。
 嫌なことも忘れさせてくれる、エネルギッシュなこの季節が好きだ。
 僕は、飛騨高山の近くにある畠山の別荘へと出かけることになった。もちろん彼の誘いがあったからだ。
 畠山薫とは、高校に入学した時同じクラスだったことで友達になったから、一年ちょっとくらいの付き合いになる。最近までは休み時間に少し話すくらいの付き合いでしかなかった。
 少し前、僕はある女の子と出逢い、つかの間の恋――と思われるものをし、永遠の別れを経験した。その際に彼はいろいろと僕に助言してくれた。その事と関連して、僕は複数の下級生と暴力沙汰を起こした。自分では退学を覚悟していたのだが、予想外に軽い処分で済んだ。その後、畠山が生徒会に事情を説明したり、校長達と交渉してくれたりと奔走してくれた事を知った。
 その事に関して、彼は自分からは何も言わなかった。だから、僕も黙って彼を、あるお好み焼き屋でおごった。それ以来、畠山は単なるクラスメートではなくなった。
「わっ」
 急に顔にあたった風が、僕を回想の世界から現実に戻した。
 僕の乗るバスは多少古かったが、順調に別荘のある土地に向かっていた。
 バスには、僕の他に後ろの席におばあさんと男の人が乗っているだけだった。
地元の人らしく、のんびりした感じがする。気がつくと、前の席の窓が一ヶ所だけ開いていた。ここから風が流れこんだらしい。
 草の匂いのする風だった。窓の風景は徐々に人工物が少なくなり、田畑とかやぶき屋根の古い農家が目立つようになっていく。自分が異境に入り込んでいくようで、わくわくしながら景色を見つめていた。
「楽しいと思えるのは久しぶりだな……」
 あの事件からしばらくして、僕の身に異変が起きるようになった。ひとの心の叫び、感情のうねりなどが感じ取れるようになったのだ。
 ひとの感情の流れは、ときとして激しい。そして、表情などとは必ずしも一致しないものだ。今まで笑って話をしていた相手が、実は心の底では笑ってなかったり、自分を嫌っていたりするのがわかるというのは、かなりしんどいものがある。
 この時も畠山に相談に乗ってもらい、彼が所属するオカルト研究会に入る事になった。彼らの協力で、この能力を使い、ある人を助ける事も出来た。
 別に超能力者だって威張る気はさらさらない。畠山によると、一度覚醒した『能力』は消えることはないらしい。能力と向かい合って生きていくしかない。
 最初は無秩序に他人の感情を拾ってしまっていたが、いまは意識する事で、コントロールが効くようになってきていた。
 かつて、そのコントロールが聞かなくなった者たちは人間社会に嫌気が差し、山奥でひっそりと暮らした。それが妖怪「さとり」と呼ばれた人達らしい。
 幸いにも、僕はそんなことにならないで済んだ。畠山には感謝しても仕切れないくらいだった。今回の旅行も、気をきかせてくれたんだろうと理解しているつもりでいた。  だが、僕が友達になった女の子と、次から次へと仲良くなってしまうのには困ってる。おかげで僕は「畠山君の友達」以上に関心をもってもらえないのだ。
 やはり、けしからん奴以外の何者でもないな。
 ちょっと無理やりにそう結論を出すと、再び窓からの景色に意識をうつすのだった……。


 バス停を降りると飛騨の自然が視界にとびこんできた。そこはまだ開発の手が進んでいないためか、見回したところ、別荘と名の付く建物は数件しかない。
 二階建ての別荘は大層立派なものだった。僕の実家よりも数段大きい。
 整ったシステムキッチン、見た目高価な感じの安楽椅子(というのだろう)、ベッドのある寝室、たいしたものだった。
 以前、僕の部屋に呼んでやったときに、畠山に「君の生活は二世代遅れてる」
と言われた事があった。あの時は腹が立ったものだが、こういう別荘を見ると、そんな気もなくなる。庭も軽くマラソンくらいできそうなくらい広く、丁寧に庭木も刈り込みされていた。
 このくらいの別荘が全国各地にあると前に話していたから、たぶん普段住んでる家も相当に豪勢なんだろう。まあ、あいつも悪気があるんじゃないと思う。
 そう考えることにした。
 今回利用するのは、あいつと二人だけだ。押し入れにしまい込まれた布団を出すと、さっそくベランダに干す。別荘で布団干しというのもなんとなく哀しいものがあるが、仕方ない。生活というものはある種泥臭いものなのだ。
 布団を干すと二階から掃除にとりかかった。掃除道具も専用のロッカーにしまわれている。どれも手入れは良い。
 てきぱきと階段を雑巾でふいて、別の雑巾で乾拭きする。こうしないとまたほこりがつくのだ。
「……なんか掃除ばかりしている気がする」
 元々掃除なんて縁が無かったのだが、今住んでいる六畳間だと、すぐに荷物が一杯になるので、やらざるを得ない。おまけに、オカルト研究部には誰も整理整頓の出来るやつがいなかった。
 千田とか女の子の部員もいるんだが、掃除を頼むと、「先輩お願いしまーす」と、はぐれメタルのように素早く消える。畠山のやつも「副部長がそんなことするのかい?」とかぬかすので、自然と僕の役目になった。今は道具の管理までする有り様だ。
 入部したばかりの頃は、「超能力者だー」とか歓迎してたくせに……、僕は日本一不幸な超能力高校生に違いない。まて、超能力高校生ってどーゆー分類なんだ……?
 とか考えている間に、掃除は終わった。日々手際が良くなっている事に自分でも、なんとなくイヤな気分になる。
 ああ、この性分のためにこの春は……、小林さん。しくしく。
 しばし落ち込む。がく……。
 立ち直る。シャキッ! 自分で擬音までつけてみる。いい感じだ。
 男の子は気分の切り替えがよくないとね。
 大体あとかたづけも終わったので、近所の散策としゃれこむことにした。
 観光ルートからは離れているところなので、昔ながらの風景が残されている。
車一台がやっとの細いアスファルトの道路を除けば、段々畑か山林が見えるだけだ。普段見慣れた近代的な建築の別荘が、ここでは変に違和感を感じる。
 散歩道の案内板があったので、それに従って少し足を延ばした。
 この別荘地の近くには湿原地帯があり、水芭蕉などの高山植物が静かに咲いていた。こんなのは都会ではお目にかかれない。
「兄さん、別荘のひとかい?」
 途中、地元のおじいさんとすれ違った。これから畑に戻るところだと言う。
 少し立ち話をした。
 言い伝えによると、この底なし沼には大蛇の妖怪が住んでいるという。地元の人達の間では有名らしかった。神隠しも過去にはあったらしい。
「はっはっは、兄さん、大蛇に気をつけなさいよ」
 おじいさんとはそこで別れた。人工衛星が地上の人間の顔まで写せる時代にしては、古くさすぎる話だと思う。超能力者はいるのに? という問いには、あれはSFだから居てもいいのだ、と答えておくことにする。
 夏の暑さを感じさせる様な蝉の声は、全く聞こえてはこない。それどころか、ときたま、かっこうの鳴き声が空いっぱいに広がり、木々の梢に吸い込まれていく。
 とんぼが水芭蕉の上にちょんとのって羽を休めている。そうかと思うと、モウセンゴケにとまった小虫はそのネバネバしたもので捕らえられ、羽をばたばたさせている。
 殿様蛙がぴょんと水面に飛び、きれいな同心円状の輪ができる。その輪の波でサーフィンをしているあめんぼう。
 とってものどかだ。こんなところを女の子と二人で歩いていたら、ぐっとロマンチックなのかもしれない……。い、いや、こんな時までそんな事を考えちゃうのは野暮かな。この風情を楽しもうじゃないか。
 こんな邪念をいだきつつ、武原信幸は散歩道をとぼとぼ歩いていた。
 そうして沼地を横切るように出来た、涼しい道を歩いていると、風情をスケッチしている一人の女性を見つけた。
 彼女は昔懐かしい麦藁帽をかぶり、持ってきた小さな椅子に座り、スケッチブックに熱心に鉛筆を走らせている。ロングヘアーの髪がさらさらと風でゆれていた。
 最初は、そこに人が居る事にすら気がつかなかった。すらすらと手は動いているし、視線も時々周囲にはしらせてはいるのだが、それに違和感がなくて周囲の風景と一体化したかのようだった。
 都心の人間と違い、意識が周囲に散漫と散ってはいないのに気付いた。ただひたむきに絵に向かう姿は、小川のれのように自然に感じられた。
 ふと、
「きれいだな……」
 と、自分がつぶやいてしまっているのに気付いた。
「え?」
「あ……」 
 視線が彼女と交差していた。邪魔をしてしまったというより、なにか一方的にのぞき見をしていたような、そんな後ろめたさが、少し照れくさくさせた。
「あ、いえ、風景がいいなって……。すいません、なんか邪魔しちゃったみたいですね」
 彼女は人なつっこそうに、
「あなた、どこからいらしたの?」
 と、透き通るような声で尋ねた。
「武蔵県からです。武京の上。ごみごみしたベッドタウンですよ」
「あら、そうなの……。いつこちらへ?」
「さっき着いたばかりなんです」
「私は、昨日こちらへ来たんですけど、珍しいわね、遊ぶとこなんか全然ない所だから、若い人はあんまり来ないのよ」
「えっ、そうなんですか。別荘なんてあるからレジャー施設のひとつくらいあると思ったのにな」
「ふふ、わたしもそう思ってたんだけどね。お店も全然ないでしょ? 車で30分下った所にある、駅のほうまで買物にいかなければならないのよ」
 うっかりしていた。食料の確保を全然していなかったのだ。冷蔵庫の中身は調べていないが、多分何もないだろう。
「こりゃ、大変なところにきちゃったなあ。そうか、友達が別荘に誘ってくれた訳がよく分かった」
 畠山のやつ、やっぱり買い出しが面倒で、僕にやらせるつもりで呼んだに違いない。あいつらしいぜ……。
「ここは典型的な避暑地。悪くいえば、ただの過疎地なんだって」
 僕の苦笑いに合わせて、彼女もくすっと笑う。どことなく人を安心させる不思議な笑みだった。悪意とかにごった感情が混じってない感じがした。本当のひとの笑い方って、こんなものなのかもしれない。
「でも、景色はいいところでしょう? わたしはこれだけでも充分だと思うんだけれどね……」
「そうですね……」
 僕も彼女と同様に、しばし周囲の木々に囲まれた景色を眺めた。確かに悪くないな。 「じゃ、さっそく町まで買い出しにいってきます。片づけ仕事ばかりで、避暑というより、家事の延長みたいですけれどね」
 畠山のやつが食べ物を買ってきてくれればいいんだが……。だがやつの性格からして、そんな事に気が回るとは思えなかった。
『借り主が用意してくれるものじゃないの?』
 とか、いやみの一つも言われるに決まってる。まるで王様……顔つきが女っぽいから、さしづめ「女王様と下僕」という図式かもしれない。
「もう、今日のバスは終わりましたよ。ほら、あれ最終便」
「え?」
 ちょうど、旅館のマイクロバスみたいな小さなバスが、遠くの道路を走って行くのが見えた。
 万事休す。今日は良くて缶詰。ひどけりゃバター丸かじりになりそうだ。
 ああ、哀れなり武原信幸……しくしく。
「あ、あの、もしよかったら、私の別荘へ遊びにきません? ばあやと二人で寂しいの。よかったら、夕食もごいっしょにいかがです?」
 よっほど僕はひどく落胆した顔をしていたらしい。哀れさを見るに見かねて、彼女が助け船をだしてくれたようだ。
 も、もしかしてこれはちゃーんす、というやつではないでせうか……?
「あ、あの……もしもし?」
「よろこんで行かせていただきますぅ!」
「は、はい、はい」
 僕は彼女の両手を握って、ぶんぶんと肯く。ついでに手まで振り回してしまったので、彼女の声まで一緒にぶれていた。
「――あなたって変わった人って言われたりしませんか?」
「いえ、全然」


 ……というわけで、僕は彼女の別荘にお邪魔することになった。
 彼女の別荘は、ここらで一番大きく素晴らしい造りだった。
「いま、ばあやは町の方に買物に行っているの。もうそろそろ帰ってくる頃」
 ドアを開けると大きな玄関だった。上からはシャンデリアが下がり、壁には風景画が飾ってあった。その絵にはYUKOとサインがあった。
「これ、あなたが描いたのですか?」
「いいえ、これはばあやが描いたものです。これだけじゃなくてこの別荘にある絵は、全部彼女が描いたものなのよ」
「すごいんだな、君のばあやさんて」
 外で車の止まる音がした。
「あら、ばあやが帰ってきたわ」
「荷物を運ぶお手伝いをしてあげましょう。あなたもお願いできますか」
 僕はうなずいて外に出た。
 そこにいたのは僕のイメージしていた『ばあや』ではなかった。とても美人で、二人の女性には年齢差を感じなかった。
 そして二人とも良く似ていたけれど、彼女のほうが理知的な印象がした。
 一週間分の食料を買い込んで来たのだろうか、かなりの量があった。別荘暮らしも、やはり物入りということらしい。お手伝いが終って、改めて玄関のとなりにある応接間に通された。
「まだ、自己紹介もしていなかったわね、私の名前は二条智恵子。そしてばあやの名前は優子。ばあやと言うのはあだ名で、本当は私のお姉さんなの。
 ――貴方の名前は?」
「武原信幸です。のぶゆきと呼んで下さい。しかし、驚いたなぁ、ばあやなんて言うから、よぼよぼのおばあさんかと思いましたよ」
「智恵子ったら、昔から私のことをばあやばあやと言ってしょうがないんです。もう、いちいち怒っていたら大人げないので、最近はそんなことなんか聞き流していますけれど。他の人が聞いたら変ですね」
 そう言って、優子さんは苦笑いを浮かべた。
「でも、お姉さんといっても、そんなに歳は違わないんじゃないですか?」
「そうね。わたしと智恵子は双子なの。だから、お姉さんといっても、ほんのちょっとだけかな? ……少しだけだけどね」
「そうね……」
 少しだけ智恵子さんの表情に陰りが見えたような気がした。
「そうだ……、わたし達双子で似ているけれど、信幸君にはどちらがどちらか区別がつくかしら?」
 少しだけ挑発的な眼をして優子さんが言う。
「そうですね……」
 僕は二人を見ながら少し考えた。実のところ『能力』を使えば造作もない。
人には、それぞれの感情の波のパターンというものがある。それが水面で波紋を広げるように、いつも波を発しているのだ。
 鏡に映したようにそっくりな二人でも、僕にはわかる。……この一見理知的に見えるポーズの奥底に激しい炎を秘めているのが優子さん、そして物腰の柔らかさと同時に、怖れ・苦しみに似たものを感じさせるのが智恵子さんだ……。
 智恵子さんもかなり可愛らしいけれども、優子さんの方も美人だと思う。普通に答えればよさそうなものだが、不意に何か試されているような感覚がして、考え込んでしまった。
「ふふ……、どう? わたしたちってそっくりでしょ。……二人で一人みたいに見えてこない?」
 優子さんがすっと目を細めて、僕を見据える。何か蛇に睨まれた蛙のような気分になり、うかつな答えは言えないような気配になっていた。
「そうですね……、僕にも二人がとっても美人だということくらいは、わかりますよ」
 そう言うと、目の前の二人の女性は急に吹き出した。
「くすくす……、信幸君ったら今から女性におべっかなんか使ってちゃ、将来ホストになっちゃうかもよ」
「そういえば、さっきも私に向かって『きれいだなあ』なんて言ってたのよ。優子姉」
『ふう〜ん』
 二人して声をあわせて言うと、なにか含み笑いをして僕を見ていた。
「な、なんなんですか、もう……」
 ちょっと前張り詰めていた空気はもう霧散していた。この問いかけは二人にとっての、僕への「試験」のようなものだったのかもしれないと感じた。
「なんか、信幸くんていいなって思ってね……」
「はあ……」
 自分ではどこがいいのか、ちっともわからないから困ったものだ。
「じゃあ、わたしの事から話すね……」
 そこからは話がはずんだ。
 二人は年齢は二十歳。府内の大学に通っているらしい。僕と三つ違いということになる。
 優子さんは、武京ではアルバイトで生け花の先生をもしているそうだ。
「ご両親は一緒じゃないんですか?」
 女の子だけというのも気になったので、訊ねてみた。
「それなのよ!」
 ぽん、と手をたたいて智恵子さんが言った。
「ねえ、ねえ、聞いて、聞いて。うちのお父さんとお母さんはとっても不良なのよ〜」
「お父さん達を不良なんて呼んじゃだめでしょ。だから先生からも口が悪いって注意されたんでしょう?」
「そんなこと、今の話に関係ないわよ」
「あら、智恵子がムキになるなんて珍しいね。信幸さんがいるからかな?」
「もう、ちゃかさないで。お願いだから、お話を続けさせて」
「はい、ごめんなさい」
 とても仲の良い姉妹なのだと思う。喧嘩をしているのかじゃれているのか分からない。
「はーい、話を戻しまして。あのね、うちのお父さんとお母さんはとっても不良なのよ。先週の土曜日、二人の結婚記念日だったの。朝からそわそわしてドライブに行ったと思っていたら全然帰ってこないのよ。
 帰ってきたのは次の朝、次の朝よ。子供が夜食を作って待っているのに、朝帰りなんてとんでもない親ね、ほんとに不良なんだから」
 智恵子さんは息をつく間もなく、一気にしゃべり通した。わりとはきはきした面もあるらしい。
「で、今も外出してるんですか?」
「そうなの。今度は温泉巡りだとかで……、まったくヘンな両親を持つと子供が苦労させられるわ……」
「そのわりには、二人ともご立派に育ったんじゃないですか?」
 僕は本当にそう思った。二人とも、知的な雰囲気を漂わせた人たちだからだ。
「いいえ、そんなことないんですよ。智恵子姉さんったら、ずっと番はってたんですから〜」
「もう、智恵子ったら。そんな話を信幸くんにするもんじゃないでしょ」
 優子さんは軽くお茶を口にした。
「またそれを言う、でもすごかったじゃない昔の優子姉て」
 優子さんがお茶の支度をしながら笑った。
「すごいって、どうすごいんですか?」
「うん昔ね、族のリーダーだったの。レディースっていうのよね? お姉ちゃん?」
「ええ、私も一時期はグレてしまいまして……、週末は特攻服を着て乱闘の毎日でした」
「は、はぁ」
「バットを相手の口に突っ込みますとね、返り血が飛ぶんですよ、こう」
 優子さんは手のひらをぱたぱたさせて、自分の顔に向けた。
「でね、顔にもつくんですよ。それをこうペロッとなめるのがおいしくて……、あ、でも、カタギの人たちは絶対襲いませんでしたけどね。
 ああ、『血染めの優子』と呼ばれたのが、今では懐かしいような気もします……」
 そう言うと、優子は遠い目をさせてうっとりとした。
 き、危険な感じがする……。
『信幸さん』
 二人同時に呼ばれて、思わず心臓がドキリと鳴った。
「は、はいなんでしょう?」
「今の話、本当だと思いますか?」
 二人から冷たい視線が突き刺さる。なにか下手なことを言えないような雰囲気だった。
「そ、そうですねぇ……、本当だと思いますよ」
「本当に?」
「信じますよ」
「――本気で?」
「……ええ」
「ウソです、全部」
 その瞬間、僕は派手にズッコケた。
「もう、趣味が悪いよ優子姉」
「先にネタをふってきたのは、智恵子の方でしょう? もう〜」
 ころころ笑う二人を見ながら、僕は二人は関西系に違いないと確信を深めるのだった。


 その後もとても楽しい話がはずんで、時間の過ぎるのが分からなかった。
 お互いの家族のこと、大学のこと、趣味のこと、友人のこと。異性というとつい焦って空回りしてしまうのだが、今日は話題が泉のように湧いてきて、止まる事を知らなかった。
 気がつくともう深夜になっていた。夜も遅くなり、なりゆきとはずみで泊まっていくことになった。何しろ、自分の帰るべき別荘には、何だか古めかしい難しい本ばかりで人気もない。大勢でいたほうがやっぱり楽しいには違いない。
 畠山がやってくるのは明日のはずだし、マスターキーは奴が持っているのだから、特に問題はないだろう。
「お風呂に先に入って下さい。私達は後で入りますから」
「じゃあ、お言葉に甘えて先に入らせていただきます」
 バスルームの戸を開けるとぷーんと鼻をつく臭いがした。これは、硫黄温泉の臭いだろう。別荘に温泉が引いてあるというのは凄くゴージャスに感じる。
 バスルームと言うよりは、優子さんが言った通りお風呂と言った方がピッタリしている。風呂桶も大きくちょっとした旅館並に、5、6人はかるく一緒に入れる。天窓が付いているのだが、外が真っ暗なので何も景色が見えない。
 きっと星空が見える夜ならば、さぞかし綺麗な光景なんだろうと思う。
 あ、でも外から覗いたらきっと丸見え……。はっ! いかんいかん。こんなことを考えてはいかん。不埒な、恩人なんだからな。と、自分を戒めた。
 よしよし、理性、ナイスフォローだぞ。
 温泉の湯は体の芯から温まる。湯面から立ち上る湯気を見ていると、美人の二人の顔が浮かび上がってきた。自然と鼻歌が出てくる。
 もしかして、「お背中流しましょうか?」なんて智恵子さん達がきたりなんて……、などと思いをふけらせていた。男の期待というものは、大きいにこしたことはないのだ。そして、期待はまたたく間に確信へと変わり、事実へと心のなかで成長するものだ。さしづめ、出逢いが第一次接触ならば、裸の付き合いは、第二次接触というところに違いないな。うむ、実にいいことだ!
 理性、いいか? ――満場一致で可決してくれたらしい。
 そんなわけで、待機。
 わくわく。10分。
 わくわく。20分。
 わくわく。30分。
 カムヒアーお姉さん……。
 わくわく……1時間経過。
 こ、根性……。
 1時間半経過……、ぐぁ……、しくしく……、ぐるぐると視界が周りはじめて少ししたころ、意識を失った。無念なり……。

「……信幸さん!?」
「は、はぅ……」
 気がつくと、リビングの床にバスローブを着た状態で寝かされていた。智恵子さんのうちわの風が気持ちいい。
「信幸さん、お風呂でのぼせて湯船に沈みかけていたんですよ〜。それを優子姉とわたしで引っ張りあげるの大変だったんですからね」
「すんません……」
 まだ視界がぐわんぐわんとして、声を出すのがやっとの有り様だ。
「ふふふ、信幸さんなんで湯あたりするまで入ってたの?」
「え? その……」
 智恵子さんの問いにどう答えるか困っていると、優子さんが目をきらりと輝かせながら、指摘の言葉を発した。
「……期待してたんでしょ? わたしたちが入ってくるの」
 ぐぁ。初弾命中。
「な、なんのことでしょう……」
 体温が5度ほど一気に下がった感じがした。こ、ここは逃げ切らねば……。
「いいっていいって。信幸君若いんだし。私たちも入ろうかなって思ってたんだけどね〜。ね、智恵子?」
「う、うん……。でもね……」
 智恵子さんが少し顔を赤らめて、TVのある方向を見た。
「智恵子がね、どうしても見たい特番があるって言うからさ。それを見終るまで待ってって言うから、ついつい長引いちゃったのよね」
「うん、二時間特番……。『首都警察追跡24時間』っていうの。いつも好きなんで……」
「あれ? だってこんな山奥で電波届くわけないような気が……」
 なんちゅー趣味の番組を見てるんだ智恵子さん、と心の中でツッコミを入れつつ、疑問を口に出した。
「ああ、だってここの別荘地、ケーブルとか完備してるもん。首都圏と同じ番組見られるのよ」
「ついつい、ドラマとか見ちゃうのよね〜」
『ね〜っ』っと、二人して頷くのを見ながら、僕は心のなかで血涙していた。
 こんな山奥でまでCS完備ですかい。おのれ科学技術、おのれ特番。しくしくしくしく……。科学万能時代の前に、男のささやかな野望は敗れたのだった。
 しかし、追撃はそれに止まらなかった。
「信幸君、ところでなんでキミがバスローブ着ていると思う?」
「え、そりゃ着たからで……って、ええっ!?」
 優子さんの顔をにま〜っとしながらの問いに、初めてその意味に気がついた。
「私たちがここで着せたんです」
 智恵子さんもにこにこしながら、その問いに応じた。
「……ということはですね……、えーと……みました?」
「ばっちり」
 優子さんがピースしながら答える。な、なにをばっちりなんだー!
「……かわいいですね」
 智恵子さんも相変わらずにこにこしながら、首を縦に振った。な、なにがかわいいんだ〜!
「はぅ〜」
 バスローブのはだけた部分を慌てて隠す。時すでに遅しだけど。お、男の純情が……汚れちゃったよぼかぁ。泣ける……。
「ところでさ、わたしたち改めてお風呂に入るんだけれど、もう具合もいいみたいだし、信幸君もどう?」
 優子さんは、にま〜っとした表情のまま、追撃の手を緩めない。
「お背中流しますよ?」
 智恵子さんも有り難い申し出をしてくれる。それ、二時間前に言ってくれてたら最高だったんスけど……。
「もう、勘弁してくださいよ〜」
 二人のスマイル十字砲火の前に、我が軍は全面降伏した。僕に仮におねーさんがいたとしても、優しくしてもらうどころか、こういう風にやり込められてたのかもしれないなあ。まったく年上の女性は手ごわいということか。
 かくして、武原信幸の第二次接触作戦は失敗に終わったのだった。


「ちえこさん、むねをおしつけちゃだめですよ〜。えへへ……」
 夢だった。
 ふと目が覚めた。客間に通された僕は、温泉なんて豪華なものに浸かった事と、カバーが破れてもいないふんわりとした布団のおかげで、ぐっすり眠ってしまったらしい。
 唐突に、なんとなく楽しかった気のする夢はうち切られた。やっぱり環境が整いすぎていると、ひとは眠りにくいのかもしれない。
 喉がかわいていたので、部屋を出ることにした。
 ところが、気付くとリビングの明かりがコウコウとついていた。静まりかえった真夜中に、二人の話声が内緒話のように聞こえてくる。
 さては、二人でなにか秘密の事でも……? 一瞬また邪念がよぎったけれど、さすがに馬鹿馬鹿しいのでやめた。
 他人の家にごやっかいになってる身だから、あまり関心を持っちゃいけないとは思ったものの、好奇心がそれに勝った。悪いとは思ったけれど、襖の隙間からちょっと覗いてみた。するとどうだろう、部屋の中で酒盛りをやっているじゃないか。
 ずるいぞ。僕だけほったらかしにするなんて。教えてくれればいいのに。未成年だってビールくらい飲めるんだぞ。いまどき「不良だ」とか騒ぐのは畠山くらいのもんだ。
「美味しいわね、ここの足のモモのところが一番。明日の分はいよいよ……。
ひきしまった体つきだから、きっと期待できるわよ。ねえ、姉さん」
「そうね、今からよだれが出そうだわ。あったかぁくておいしいでしょうね」
 背中を向けている二人は、なにかをぺちゃぺちゃと食べているようだ。何かはちょっとわからないけど、美味しそうだ。
 僕も酒盛りにつきあわせてもらうとしよう。そう思い、ふすまを開けようとしたときに、時計が午前2時を告げた。時計はちょうど僕のいる側のふすまの真上にあった。
 二人の顔が僕のいる正面を向く。
「…………!!」
 それはほんの一瞬、だけど長い一瞬だった。
 それを確認する二人の顔つきは、昼間会ったあの二人の顔ではなかった。
 目はつり上がり、口の回りは血で真っ赤だった。話し方も声をわざと殺したようなしわがれ声で話している。
 良くみると、牛や豚の肉を生のままかじっているらしい。
「明日は本物がいよいよ食べられるわね。楽しみ」
 二人の押し殺したような無気味な笑い声が響きわたった。
 本物の生肉ってまさか……?
『誰だ』
 二つの視線が体に突き刺さる。のけぞるような強烈な視線。直接感じたのは初めてだが、すぐに何なのかはわかった。
 これは殺意だ。
『ちょうどいい。ここでにくにしよう』
『そうだ。そうしよう』
 二人は音もなく立ち上がると、僕の方に向かってきた。優子さんの手には、冷凍肉を叩き割る時に使う手斧。智恵子さんの方にも、出刃包丁が握られていた。全身を血に染めた姿は、まさにレディース姉妹そのものだ。怖いぞ。
 いや、冗談を言っている場合ではない。二人の視線はどこかトロンとしていて尋常な状態でないことはわかった。
 冗談ではない。このままでは『肉』にされてしまうじゃないか。食われたら大変だ、トイレで流されちまうぞ。着の身着のままだったが、玄関へと走った。
 慣れない間取りだったが、ほどなく玄関が見えてくる。迷うことなく、僕は玄関のノブを回した。
 いや、回そうとした。だが、動かない! 鍵は確かに外したはずなのに、玄関は1ミリたりとも動こうとしなかった。まるで岩の塊を押しているようで、崩れないジェリコの壁という感じだった。
『あきらめてよ』
『そう、あきらめてください』
 いつの間にか、二人が背後に追いついていた。二人は横に並んで少しずつ間合いを詰めてくる。他の部屋へ逃げ込もうにも、それよりも内側の線に進まれてしまっていた。
『きっとおいしいと思うの』
『いいお肉になると思いますよ』
 二人ともいつもの朗らかな声とはどこか違う、何か別の感じがした。人が人を殺そうとするときとは何か違う、そんな気がした。猟犬が兎を追い詰めた時の歓喜というのは、こんなものなのかもしれない。
『おとなしくしてくださいね』
 ぺろっと智恵子さんがほっぺたの血をなめとると、そう言った。
「あの……、さっきの冗談の続きではないんですよね?」
 駄目もとで話しかけてみた。正気に戻ってくれればあるいは――。
 ブンッ。
 智恵子さんが斧を斜めに振り下ろした。避けなければ肩を直撃していたはずだろう。どうやら無駄らしい。倒れ込んだ間に、優子さんの方も間合いを詰めてきた。
 土間の隅に追い込まれた僕は、逃げ場所を失っていた。二人はぴったりと包囲の輪を縮めてきた。こうなったらアレを使うしかないか。獲物を追いつめて必勝の笑みを浮かべる二人に対して、僕は「切り札」の手を使った。
「ごめんなさいっ! あきらめますっ! ですから、せめて苦しまないようにしてください〜〜」
 土下座して三つ指ついて頭を下げた。一瞬呆れ返ったように二人の動きが止まる。それから少しして、
『いいですよ』
 と、愉悦に満ちた声で優子さんが返事をした。
 二人は僕の目の前まで来ると、ゆっくりと武器をふりあげた。もう逃げる事はないと安心しきっている。
 今だ! これが真の奥の手!
「てや〜〜〜〜!!」
 僕は正座の状態から素早く跳躍すると、二人に素早く詰め寄った。意外な動きに、さすがの二人も硬直し動きを止める。
「とりゃあっ!」
 むにっ。
 むにむにっ。
 びくり、として二人は動かなくなる。
 長い沈黙。そして武器を取り落とし……、彼女たちは息を吸うと……、
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁ〜!!」
 長い長い悲鳴をあげ、ぺたんと座り込んでしまった。先程の声とは違う女の子のあげる悲鳴だった。
 ノブが動く。靴だけ両手に持つとあとは必死で別荘をあとにした。
 とりあえず息が続く限り走ってから、靴を履いて後ろを振り返った。二人が追ってくる様子はなかった――。
 ポケットの中には、畠山の別荘のキーが入っていた。とりあえず、今晩を野宿で過ごすのは避けられそうだった。
 奥の手が成功した。スカートめくりをした時に女子たちに追い詰められた後の、土下座→胸タッチのコンボ。この奥義で、小学生時代は女子たちに怖れられたものである。担任からこっぴどく怒られたのは言うまでもない。
 昔取ったきねづかが役に立つとは思わなかった。何事も経験だ。
 ちなみに二回もんだのは智恵子さんの方だ。年下なんだけれど、彼女の方が胸があるんだな〜、と新発見をした。やはり胸は大きいにこしたことはないと思う。誰だってそう思うはずさ、たぶん。
 電灯も満足にない道を歩きながら、これからの事を考えた。警察に言うべきだろうか? 最初はそう思った。しかし考えてみると、僕は泊めてくれた親切な姉妹に対し、痴漢行為をはたらいたって理由で捕まるかもしれない。
 たぶん、ぼくが『にく』になっていたら、信じてくれるだろうけど。
 やっぱりあの二人のことだから、凝った冗談だったのかもしれない。でも、そうだとしたら、確実に嫌われただろうなあ……。
 そんなことを考えながら、しょぼしょぼとした足取りで家路についた。


 朝になった、爽やかな空気が胸いっぱいに入ってくる。窓の外からは、静かな木々の間から、小鳥達のさえずりが耳をくすぐる。
 しかし、どうも気分が晴れない。昨晩の悪夢が脳裏からはなれない。いくら冗談だといっても、わざわざ生肉を食べて包丁をふりかざしてお客さんを追いかけたりするのだろうか? 智恵子さん達だと「はい」とか言いそうで、別の意味で怖いが。
「またこれか……」
 思わず重いため息が口から漏れる。
 そう、実を言うとこれが始めてというわけではないのだ。畠山に関わって以来、こんな出来事に何度か出くわしている。
 夜の公園で殺人鬼にでくわしたり、夜の学校の生徒会室で怪しげな儀式をしている連中に取り囲まれたり、事故の絶えないトンネルに出かけて金縛りにあったりという事もあった。
 そのへんについては、いつか話す機会もあるだろう。
 まさか、今回も!? そんなとき、タイミングよく電話が鳴った。さすがに別荘のは最新式のプッシュホンだった。
「ちわ、ちゃんと生きてるようだな?」
「ああ、おかげさまで生きてるよって……、今回もお前の仕業か!」
 僕は、電話の向こうのトラブルメーカーに向かってどなった。
「君がトラブルのなかに飛び込んで行くんだと思うが……まあいい。君を襲った連中はたぶん、『双頭の蛇』だ。双子の妖怪さ」
「妖怪……うそつけ。優子さん達は普通の人間だぞ」
「超能力者が妖怪を信じないっていうのか?」
「当たり前だ。超能力はSFだ。妖怪なんてファンタジーと一緒にするな」
「SFだって、スペース・ファンタジーの略だろうが。だいたい、もう幽霊も見ているんだから、妖怪だって似たようなもんだろうが」
「うっ……」
 人の古傷に無造作に触れる言い方には腹が立ったが、一面やつの言う事にも一理あるようにも思えたので反論はやめた。
「人間に取りつく妖怪だってこと、『双頭の蛇』はな。これからそっちに向かから、絶対に家から出るんじゃないぞ。
 あ、その間資料が置いてあるから読んでおくといい。じゃね」
 言うだけ言って、やつの電話は切れた。
 やつの言うとおりにするのもしゃくだが、昨日の今日で優子さんたちに会いに行く勇気もないし、ここは待つことにした。
 二階の書斎へ行く。
 彼の家は民俗学に凝っていて、各地の風俗や伝説を調べるのが好きらしい。
古文書を集め逸話の起きた現場へ出向く、そんな仕事だということだ。
 歴史には授業以外で関心は無かった僕も、畠山のそんな話を聞かされているうちに、歴史にある隠されたダイナミズムのようなものに徐々に魅了されてきていた。
 この別荘もそのために建てたものだそうで、かなりの資料が揃っていた。
 ほどなく、この地方の民話のファイルを見つけることが出来た。

 昔々、この地方には二匹の蛇が住んでいた。雌の姉妹の蛇であった。二匹と言うべきなのだろうか。というのも、その蛇は二つの頭に一つの体を備えた蛇だったからである。
 この蛇、強さもさることながら狡猾なことも人後に落ちず、領民たちは殺される者、食われる者達が後を絶たず、困り果てていた。
 村の男達が総掛かりになっても相手にならず、罠をはっても捕まえることが出来なかった。
 蛇は女子の、特に姉妹を好むらしく、よく犠牲になった。その理由は誰にもわからなかった。やがて諦めた領民たちは、ひとつきごとに女の姉妹を生け贄に差し出すことで蛇に許しを請うようになった。
 そこへ時の領主、三木頼綱から使わされてきた伊勢四郎貞盛という一人の男がやってきた。伊勢という男は、生け贄の代わりに自分を運ぶように村人に命じた。
 やがて夜になり、篝火だけが焚かれた広場に蛇はやってきた。
 伊勢と蛇は一対一で向かい合った。伊勢は蛇になぜ人を襲うのかと問うた。
蛇は答えた。憎いからと。我が身は我が姉妹と一つの体で我慢しているというのに、人間はひとつずつ体をもって生きている。それが許せないと。
 そう答えた。
 伊勢は大きく笑い、応えた。長く生き、森羅万象の流れに近きもののけが、人のごとき妬みをもって殺めるか。この地を守護せし末裔が、このような醜き者となりはてるは祖先も悲しんでいるであろう。よって、わしが承伏させてくれよう、と。
 双頭の蛇は、その言葉に怒り、伊勢を喰らおうと突き進んだ。伊勢もそれを受けてたった。戦いは三日三晩にわたり続いた。
 かろうじて戦いは伊勢の勝利に終わった。蛇の肉体は潰え、魂は塚に封じられてこの地に平和が訪れた。
 ただし、伊勢は蛇の最後の言葉を聞いたという。
 憎き人間よ。今は我らが負けと認めよう。しかしいつの日か、この地が荒らされたとき、再び肉体を得て蘇るであろう、と。
 伊勢はその後もとどまり、この地の守護につとめたという。

 一通り読んだ後、ファイルを閉じた。なんてことない、地方によくある昔話だとおもった。だが不思議に笑えなかった。ありがちな昔話から、とてもリアリティの強さを感じ取っていたのだ。
 そして、普通ならたどり着かない結論へと到達した。
 あの二人の姉妹は、化物か妖怪に違いない。なんとかしなくては。
 前の僕ならば、こんなことは考えなかっただろう。もしかすると、畠山と一緒にいて鍛えられたのかもしれない。一応の対策はしておくことにした。
 それから少しして、玄関のチャイムが鳴った。
「ごめんください。武原さんはご在宅でしょうか?」
 聞き覚えのある優しげな声――智恵子さんだ。
「ねえ、いるんでしょう? わたしたち遊びに来たの。昨日のこと謝ろうと思って……」
 優子さんも一緒らしい。声を聞く限りでは、二人とも昨日おしゃべりをした時のままの、きれいな声だ。だが、この威圧感はなんだろう。玄関からは相手に有無を言わせないような、強烈なプレッシャーが伝わってきた。
 まるで僕は蛇ににらまれた蛙だった。身動き一つできなかった。
「あけて」
 優子さんの言葉がびくりと僕の体を震わせる。体が無意識に玄関へ向かおうとするのを必死に制した。
 普通なら開けたって何の問題もない。だが、僕のなかにあるベルが必死に鳴り響いていた。レッドアラートだ。絶対に応じてはいけない。さもないと……、死ぬ。途中の理屈なんかなく、ただ圧倒的な結論だけが脳裏を占めていた。
 そっと玄関の近くの窓から二人の顔を見ると、昨晩のあの恐ろしい顔になっていた。
「また、後できます」
 二人の後ろ姿は美しく、色っぽかった。しかし彼女らは恐ろしい大蛇の妖怪に操られている。畠山が来ればなんとかなるのだろうか? 自分の無力さが情けなかった。なんとか二人を助けてあげたい。
「優子さん、智恵子さん……」
「なあに、信幸さん」
「えっ」
 振り返ると、居間の入り口には智恵子さんが立っていた。
 どうしてここに? と聞く必要はなかった。彼女の手にはドアノブが握られていたのだ。玄関のノブごと引き抜いて入ってきたのだ。
「優子姉もきてますよ」
 智恵子さんの視線が後方に注がれる。後ろを向くと、庭に面したガラス戸に優子さんが突進してくるところだった。
 ガッシャァァァァン!!
 すさまじい音をたててガラス戸が破られる。内部のワイヤーで強化されてるはずのガラスはもろくも敗北した。そして、うずくまっていた優子さんがスッと立ち上がる。ガラスの破片を相当うけているはずなのに、体には傷一つないようだった。
 そして、にっこり笑ってこう言った。
「だめですよ。私達、獲物は絶対に逃がしたことないんですから」
 二人の笑い声が頭に反響して、気が狂いそうになった。だが、ここで冷静さを失ったら駄目だ。素早く状況を観察した。幸いにも今回は二人とも素手だった。尋常じゃない相手だが、やってやる!
「はっ!」
 僕は戦闘経験の無いはずの智恵子さんを標的にした。丁寧にも靴を脱いだままの両足を狙って足払いをたたき込む。まともに決まれば、頭を打ちつけてしばらくは起き上がれないはずだ。多少知り合いに向かって拳を振るう事に罪悪感を感じていた。
 だが、決まる寸前、智恵子さんの右手が少し触れたのかと思うと、背中をしたたかに打ちつけ息も出来なくなっているのは、自分のほうだった。
「……がっ」
「言わなかったかしら? わたしがレディースやってたように、智恵子も合気道を少しやってたの……。気付いていると思ったんだけど?」
 優子……が嘲笑の笑みを浮かべる。冗談じゃない、なにが『少し』だ。あのタイミングを外せるなんて、おそらくは黒帯クラス……もしかすると師範かもしれない。とんだ武闘派姉妹だ。
「なぁんだ、昨日言ってたのは全部本当だったんじゃないですか……せっ!」
 倒れた姿勢のままから、今度は優子の両足首に足を絡めた。そのまま体を一回転させる。テコの原理で相手の体は倒れる。中国拳法の技だ。
 しかし。
 優子はビクとも動かなかった。そんな馬鹿な。身長は頭一つ分以上、体重も20キロは重いはずの自分が倒せないわけがない。両足の筋肉の力か? いや、棒立ちで立ってる相手にそんな事ができるはずはない。
 何か物理法則を越えた力が、優子の体に宿っているとしか考えられなかった。
改めて、人外の存在と戦っているという恐怖がこみあげてきた。
「ほら、どうしたの信幸君。もっと抵抗してよ。抵抗しない獲物なんて狩りの楽しみにもならないんだから」
「……信幸さん。簡単に諦めないでください」
 あざ笑うような視線で見つめる優子。対して感情のない視線で冷ややかに射る智恵子。二人は踏みつけることも出来るのに、あえてそれをしない。わざと自分をいたぶっているのがわかった。
「くそぅ、俺をなめるなよ!」
 俺は立ち上がり、今度は智恵子の腹を狙い正拳をたたき込む。それも素早く手首のスナップだけで払われ、逆に胸に鋭い蹴りを見舞われた。それでも倒れる事なく、攻撃を続けた。
 勝ち目のない戦いだということはわかっている。だが、時間を稼がなくてはならない。「奥の手」を使うためにも。
 10分ほど俺の全力攻撃は続いた。だが、一発も攻撃が届くことはなかった。
男女の体格差、体力差は圧倒的なものがある。どんなに技術の差があったとしても、応酬を繰り返すうちに体の小さい側は徐々に体力を消耗し、やがて体力のあり余る側のクリーンヒットで、体勢が逆転する事がある。
 まず、体力が落ちてくるはずなのだ。しかし二人とも、汗ひとつかいていなかった。本来の技量に化け物の体力がプラスされているらしい。これで、体力差による逆転の可能性もなくなった。
「そろそろ飽きたわ」
「はい」
 優子の醒めた一言で、全ての攻防は逆転した。突きを躱されて体勢の崩れた上体に、優子の蹴りと智恵子の突きが同時に炸裂した。
「が……!」
 とてつもなく重い攻撃だった。とても女の攻撃とは思えない。改めて驚く俺に対して、二人はもはや攻撃を容赦しなかった。
 頭部、首、腹、背中、わき腹、膝、全てに蹴りとも突きともわからん攻撃が当たりつづける。格闘ゲームのような連続コンボをその身で実体験して、俺はリビングのドアを突き破り、キッチンへと転がった。口のなかを切ったらしく、鉄の味がする。
「ぐは……」
「ここまでのようね。おとなしく『にく』になってちょうだい。信幸君」
「肉ね……、悪趣味だな。生肉のまま食うなんて。そこまでして、なんで人の肉なんて食いたがるんだよ」
「当たり前だ。『贄』を差し出し、五穀豊穣を願うのは太古からのならわし。
出さんから、自ら捜しにきてやったまでではないか?」
 人間が家畜を殺すような感覚で、俺を見下ろす優子だった。
「それは二条優子としての意志なんだろうな? 二条優子の肉体に宿る二条優子の魂がそう望んでいるわけではないだろ?」
「う、それは……」
「お前が本当に土地の守護をしているならば、『嘘』はつけないはずだ。どうなんだ、それは憑依した巫女に聞けば解るぞ――優子さん! 目を覚ませ!
 優子さん、これは君が自分の意志で執り行っている行為なのか?」
 ビクリと優子の視線が宙をさまよいはじめた。口からは複数の声がもれ聞こえてくる。
「くるしいよお。助けてよ……」
「なぜわたしがこんな目にあうの。なぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜ」
「わしはこんなつもりではなかったのに……」
「優子さん! ……、智恵子さん、あなたはどうなんだ? これは正式な盟約によるものなのか?」
 俺の問いに、智恵子もまた沈黙し、視線を伏せた。以前畠山から聞いた事は間違っていなかった。古来の地の守護者は、自分の存在を維持するために大量の『気』を必要とした。地に必要なものは血。そこで人間達はその願いに応じて大小の動物を捧げた。ときとして、人間までも。
 そして、ここからがとっさの仮説だが、長いことそのサイクルが繰り返されると、やがて、その精霊の魂は雑多な意志を取込みつづける事により、純粋な存在を維持できなくなってしまうのだ。
 それゆえに、人々は対象を「守り神さま」、「主」などと呼称する事によって、言霊で存在を規定し、精霊の存在の維持を助けた。しかし、それをもってしても維持できなくなり、無闇に生命を奪うようになった精霊を「タタリ」と分類して呼び、怖れた。
 そして、「タタリ」と規定された精霊は、やがて人の手によって封印されるか、滅ぼされて魂は散り散りとなり、また地に還り、長い再生の時を待つ……。
 ここにいる大蛇の精霊(いまはこう呼称する)も、そうして封じられた存在の一つなのだろう。そして、人間の持つ「言霊」の力で存在を維持されているがゆえに、ジレンマに陥っているのだ。
「自らの欲のために」といえば、「タタリ」として封じられるか、滅ぼされる存在である事を、自ら認めたことになる。それは人間の自殺と同じ意味を持つ。
 だが、「正当な盟約に基づくものである」とも言えない。すでに複数の霊を取込んで、統一した意志を維持していない精霊でも、今の行為が盟約に違反した行為である事は自覚している。そう答える事もまた、自身の崩壊を招く。
 複数の意志にがんじがらめになった、優子と智恵子は身動きする事も出来ずにいるようだった。
 正直、ここまで即興の思いつきが通じるとは思わなかった。あとは専門家に出番を願いたいところだ。これ以上は荷が重い。
 まだ畠山のやつはこないのか……、庭のほうをチラリと見たが、人の来るような気配は感じられなかった。あいつ、なにやってるんだ……。
「うがぁ!」
 突如、均衡は破られた。何かの狂暴な怒りを伴った意志が、表に出て主導権を握ったようだった。
「なによ、みんなわたしを思い通りにしておいて、なおも消え去れっていうの?
そんな都合のいい事は許さない!」
 違う、これはさっき見えてた霊とも精霊の意志とも、優子さんの意志でもない、別の人間だ。
「……!!」
 疑問に感じる間もなく、優子さんの体を操る何者かが声を発した。声にならないその叫びは、俺の体を打ちのめし、壁に叩きつけた。
「やめて由良姉様! もうやめて!」
 智恵子が優子の体にとりすがって止めようとする。智恵子の体にも別の意志が宿っているということか……? まずい。
「『優子!』、こっちだ、来い!」
 俺は錯乱している優子に向かって、そう呼びかけ、起き上がる。全身が痛いが、まだ動けそうだ。
「あ、ああ……信幸君、そこにいたのね。今からいくからね」
 智恵子を振りほどいた優子が、凄まじい速度で迫りくる。いよいよ最後の切り札を使う時がきた。俺も背を向けて浴室に走った。
「あはははは、信幸君。今度こそいっしょにお風呂に入れるわね。切り刻んだ後に洗ってあげるわ!」
 おっかない事を言ってるが無視して、脱衣所を抜け風呂場に駆け込む。
「もう逃げられないわよ、信幸君」
「いや……もう逃げない」
 俺は風呂桶を持つと、湯船の水をすくい頭からかぶった。
「それが何になるっていうの……、はっ、それは何!?」
「別になんてことないさ……、ただの魔法の水だよ」
 脅える優子を無視して、体の残った部分にまんべんなく水を振りかける。
これで備えは完璧だ。もう指一本、優子が俺に触れる事は出来ない。
「お、おのれ……」
「食らいな、魔法の水の御清力(ゴシンリキ)をさ!」
 風呂桶の中身を足元に投げるかのように、軽く放り投げる。中身の魔法の水は奇麗な弧を描いて、優子の全身にふりかかった。
 優子はわけのわからない絶叫をあげると、風呂場から脱兎のような勢いで逃げていった。ダメ押しにもう一杯水を汲んで庭先に出ると、姉の後を追って、妹もまた山道の奥に消えていくところだった。


「や、生きてたみたいだね、武原君」
 人の苦労など理解しようという意志もないトラブルメーカーが、目の前にニコニコして立っていた。結局事が済んでから一時間遅れだ。これが別荘に誘った主の言葉だろうかね?
 ぶん殴ってやろうかとも思ったが、疲労困憊の身をさらに酷使する事も無いと思ったのでやめた。
「この腫れた顔と体中の打ち身、すり傷と、家のなかの荒れ具合を見れば、いくらお前の面の皮が厚くったって、少しは謝りたいという気持ちになるだろうよ」
「ああ、こんなになって……痛い?」
「いたっ、だからいちいち痛そうな場所を触るなっての、お前さ〜。俺に言われる前に気付けよ」
「ご、ごめん……」
「今までは、オカ研のみんなで覚悟して行動してたけれど、今度は不意打ちで二連続だったからな……。こんなだまし討ちされるくらいだったら、まだニューヨークの地下鉄にでも乗ったほうがマシだぜ。お前、知っていたんだろ? こうなるって事」
「……うん」
 畠山は小さく頷いた。あの時の電話の様子からすると、初めから知っていたのだ。そして、俺が危険な目に合う可能性を知りつつも、この別荘に招待したわけだ。別に俺のことを気遣ってくれていた訳じゃなかったんだ。計算づくで行動させた畠山に対してよりも、信用してしまった自分に腹がたってしょうがなかった。
 なんでまた人を信じちまったんだ……。落ち着いてみれば、いくらでも腹がたってきて、気持ちが収まりそうもなかった。
「――もうお前とはこれっきりな」
「信幸! 待ってよ!」
 俺は制止を無視して、屋内に残してきた荷物を取り、玄関先に戻ってきた。
結局予想通り、ろくでもない旅行のままで終わりそうだった。 
「待ってよ! 行っちゃやだよ。お願い、話をきいて、きいてよ……ねえ」
「うるさい黙れ――なんだよ、この手は?」
 門から出る事は出来なかった。畠山が背中にしがみついて腰に両腕をまわしていたからだ。
「謝るから……ほんとうに。ぐすっ、ごめんなさい……」
 不意にTシャツごしに、背中にじわりと熱い液体の感触が伝わってきた。
何かは聞かなくても判った。男にしては細い腕が、必死で自分を押し止めようとしていた。
 ――やれやれ。こいつが相手だと女の子をいじめているみたいな気分になってくるぜ……。また負けかな……。
 振りほどくこともできたが、その代わりに二回深呼吸したあと、腹の中の気持ちとは別の言葉を口にした。 
「――もうこういうのは無しな?」
「――うん」
「――今回の件、知っていることは全部話すんだぞ?」
「――うん」
「わかったから、ほら、もう泣くな」
 振り返って頭をなでてやる。
「う……、うわ〜ん」
「ば、ばか。なんでいっそう泣くんだよお前は。しょうがねえな……」
 仕方がないので、しばらくそのまま泣かせてやった。普段学校のクラスに居る時は切れ者で通っていて、女子生徒の人気者の畠山。勝ち気で、俺に向かって出る言葉は皮肉ばかりの畠山。
 以前からどこか線の細いようなところがあるとは思っていたが、こんなにもろい一面があるとは知らなかった。
 男のはずなのに、変に俺の前では女っぽい仕草を見せる畠山。案外俺の前でだけはスキを見せているのかもしれない。
 俺って結構頼りにされているのかな……? そんな事をふと、目の前の同級生を見つめながら思うのだった。


「なるほどね。『言霊』を使って精霊を縛りつけたわけか。以前に話した事を覚えていてくれたんだね」
 落ち着いた畠山と、二人に遭遇したときの状況と今後の対策について、話しあっていた。  さっき泣いたカラスがもう笑ってやがる……。まあいいか……。
「でも、どうやって取り憑かれた女性たちを追い払ったんだい? そんなのはまだ教えてなかったはずだろ?」
「ああ、それなら簡単簡単」
 俺は浴槽に沈んでいるタネを見せてやることにした。
「あ、それ父さんの外国タバコ……」
「ニコチンっていうのはさ、蛇よけになるんだよ。外国じゃ、毒蛇を追い払ったり退治に使うくらいだ。1グロス丸ごと漬け込めば、浴槽の水の量だって、濃度充分という訳よ。ん? なに不安そうな顔してるんだよ」
「父さんに怒られるよ〜」
「あほっ」
「あ、いたいよっ」
 思わず、ぽかりと頭をたたいてしまった。体罰反対派なんだけどな。
「人命には変えられないだろうが。親父さんには、お前からよく言っとけ。それに、効果あったんだからいいだろ?」
「まったく、君ってやつは悪運が強いというか何というか……、普通のやつが考えもしないような方法で、逃げ延びるんだな」
「創意工夫に優れていると言ってくれ。でなきゃ、今ごろ俺は『にく』だったのさ。あ、ところで、お前はあの二人をどうやって助ける気なんだ?」
 また畠山が涙ぐみだしたので、慌てて話題をそらす。
「方術でまず二人と霊を分離して、それから封印。その後に改めて魂を浄化して天と地に返そうと思う」
「へえ、お前オカルト研だけあって魔法なんか使えるんだ」
「魔法じゃない。法力と言ってくれ。元々の性質は、信幸のもってる『能力』と性質は近いんだ。そのうち、君にも教えてあげるよ」
 自信満々そうに畠山は微笑んでいる。かなり勝算はありそうな印象だ。
「ところで、お前の家って神主さんとかだったのか?」
 彼の衣服は、なにか和服……、神社のひとが着るような衣装だった。お寺の坊さんがよく着ている作務衣に似ているかもしれない。体中にポケットらしきものがついている点だけが大きく違うようだ。
「わたしん家が陰陽道の一門だって教えたろ? これはわたしの作業着みたいなものかな」
 そういえば、そんな話を以前に聞いた気がする。
「早速仕事だ。早良流陰陽術をご覧にいれよう」
 と言いながら、彼は、納戸の中から古めかしい行李を持ち出した。

 準備は着々と進んでいた。一時間ほどたった現在、別荘の庭には直径10メートルほどの円陣が描かれて、内部には奇妙な図形が描かれていた。それぞれの辺が結ぶ箇所は塩が盛りつけられている。
 畠山は全く無駄のない動作で準備の手順を進めているようだった。その流れるような動作からは、ある種の美のようなものを感じた。
 二言三言何かを唱え、図形の一角が一瞬光る。また移動してそれを繰り返す。
 持っている榊の枝と共に、舞うようにその身が動く。昔一度だけ見たことのある、神社の巫女さんの舞のように見えて、しばらく見とれてしまった。
「――印。これでかつて奴らを封じた水野長成の法に倣って、封魔の儀を執り行う準備が出来た」
 やがて、手順が済んだらしく厳かに彼は宣言した。
「この円陣は取り憑いた奴らと人の身を、この円陣に誘い込むことにより、分離させることが可能だ。幽体と化した奴らは大したことはない。
 ただし、この陣の施術を行っている間、俺は身動きがとれない。だから、二人を円陣の内部に押さえつけておく役割を誰かにしてもらう必要がある」
「それを俺がすればいいんだろう?」
 二人を助けることが出来るのならば、どんなことでもするつもりだった。
「円陣の内部に入った時点で術をかける。しばらくすると、必ず苦しみの余り、奴は宿っていた肉体を飛び出るはずだ。
 いいか、簡単だけれども、妖怪が飛び出るまで、絶対に抱き締めている手を緩めてはいけないよ。この手は一回しか使えないから。だけど――」
 一瞬だけ畠山の口調がよどんだ。
「術をまとめて三人にかけることになる。当然君も苦しむことになる……、大丈夫? 本当は本職の者がするべきなんだけど……父さんか誰かがいてくれていたらよかったんだけどね」
 うつむき気味になり、語尾が弱々しいものになる。さっきの事といい、いつも自信満々で冷静な畠山らしくなかった。
「俺のことは気にしないでいいよ。思い切りやっちまってくれ。ここまでくれば、お前を信じて腹を決めた!」
「信幸……」
「二人を助けたらさ、四人でどこかうまい店へ食事にでも行こうぜ。もち、お前のおごりでな」
 畠山はクスっと笑うと、
「そうだな。たまには信幸にも花を持たせてやらないとな」
 と、笑った。そのぱあっと花が咲いたような笑みに、つい胸がどきりとする。
 おいっ、俺。相手は男なんだぞ。


 俺が庭に20分もたたずんでいると、再び二人が姿を現した。蛇が一度狙った獲物を徹底的に追う、というのは本当らしい。
『さて、今度こそ逃がさぬぞ』
『暖かい血肉を食べようぞ』
 試しに智恵子さんたちの名前を呼んでみたが、何の返事もしない。もう意識を完全に乗っ取られてしまっているらしい。
 ここが問題だ。二人を助けるためには、『同時に』捕まえて、円陣の内部へ引きずり込まなくてはならない。
 その策がひとつだけある。畠山には言わなかったが。そして、やつの知らない真実もまた知っている――。俺が助けなくてはいけないのは二人だけではないのだった。
 二人は均等に間合いを詰めてくる。前の別荘の時と同じだ。本来の『蛇』としての奴には、あまり高い知性はないのかもしれない。挟み撃ちなどはしてこなかった。
 思った通りだ。だからこそ、この手が使える。
 僕は両手を大きく広げて二人を待ちかまえた。ゆっくりと二人は近づいてくる。
 5メートル。二人の視線が身を貫く。悪寒に耐えた。
 3メートル。二人の口から牙のようなものが見える。既に体は念動の力で動けなくなっている。以前別荘のドアノブを動かなくしたのもこの力だ。二人は絶対の自信の笑みを浮かべて近づいてくる。わざとゆっくりと近づいてくるのも、獲物の脅える様を楽しむためだろう。
 だが、逃げる気は全くない。
 1メートル。もう何も考える余裕はない。
 30センチ。二人の手が体に触れる。恐怖が全身を走り抜けた――。
 そして――、二人の牙がゆっくりと、自分の体の右腕と左肩に食い込んだ。
 水気のある果物をかじる時のような音が、耳元でリアルタイムに聞こえてくる。
 激痛とむしり取られる肉の感触を味わいつつ、僕は叫んだ。
「待っていたぞ、この時を!」
「!」
 両腕を彼女たちの背中にまわし、がっしりと固定する。思った通り、念動の力は、彼女達が意識し続けていないと効果が続かない。俺の血肉に気を取られて、術を解いてしまっていたのだ。
「うらぁぁぁぁ!」
 そして走った。ラグビーのラガーマンのように。事態を知り、うなり声をあげ噛みつき暴れる彼女達を捕まえたまま、円陣のなかに転がり込むことに成功した。
「はやく術を!」
「よし!」
 仰向けに転がったまま、二人を捕まえた視界の隅に、逆さまになってなにか唱え始める畠山の姿が見えた。
「ノウマク サラバ タタギャテイビャク サラバボッケイビャク サラバタ タラタ……、カンマン!」
 詠唱と共に、円陣が光り輝いて稲妻を天に向かって打ち上げた。
 当然、俺の体にも何本かが命中する。昔濡れた手でコンセントを触った時の何倍もの衝撃が、体の中を駆けめぐった。痺れが指先にまわり力が抜けそうになる。
『ぐぐぐぁぁぁーーーーーー!!』
 だが、彼女達はその何倍も苦しいらしい。ひとの耳元で生きながら解体されているかのような、凄まじい叫びを上げてのたうちまわっていた。
 ここまでは予定通りだった。しかし、二人には何の変化もない。
 妖怪は、ただぎゃーぎゃーと苦しみ悶えているに過ぎない。
「信幸、大丈夫!?」
「もう一度、雷を落とせ。奴が智恵子さんたちから出て行くまで、続けろ」
「でも、それじゃ信幸が……!」
「いいからやれ! 徹底的にやるんだ!」
 畠山は一瞬だけ躊躇したが、再び詠唱にとりかかった。
「……カンマン!」
 再び、円陣から稲妻がほとばしる。目が眩むので、まぶたを閉じた状態で二人を抱え続けていた。体がぴりぴりと痺れてきた。まだ、彼女たちには変化はない。
「いいから続けろ!」
「天魔外道皆仏性一相平道無差別……雷!」
 体が……はねる。今度のはさっきのより何倍も強い。同時に目の前が真っ赤に染まり、眼から何か液体が流れてきた。毛細血管が破れたらしい。膝や肘が勝手にびくりと震えだし、力が入らなくなってきた。
「――雷!」
 体が焦げ臭くなってきた。ぷうんと炭のような匂いがするな、と思った。
「――雷!」
 目の前の光景が水のなかのように歪んで見えてきた。自分はこんなところでなにをしているんだろう、と思った。
「――雷!」
 もう両腕を抱えていることしか考えられなくなっていた。そんなとき、彼女達の体がびくりと大きく動き、続いてぐったりと動かなくなった。
「信幸!」
「……あ?」
 かろうじて見える右目から、畠山が結界内に手を差し伸べているのが見えた。
「もういい! 無茶だよ、出てきてくれ!」
「……ばかやろ、続けるんだ。まだケリはついてないんだろ?」
「でも!」
「離さないわよ、信幸君もあなたも」
 どこにそんな力を残していたのか、優子が素早く畠山の手首を捕らえていた。
「なに、まだ動けるのか!」
「みんな、みんな自分のことしか考えようとしない……、お前達も道連れだ!」
 優子の叫びと共に、施術する者のいないはずの結界陣が白く輝き、体が急に熱くなってきた。まるで血液が沸騰するかのように。
「ば、ばかな……『蛇神』が方術を使えるはずがないのに」
 畠山が狼狽しながら手首を振りほどこうとするが、ビクとも動かないらしい。
「ほほほほほ! 印が組めなくては法力も使えないなんて、とんだ未熟者ね!
いっしょにあの世で後悔するがいいわ!」
 電気の次は電子レンジにでも放り込まれたか……。いや、どちらも電気には変わりないか……。ふと、おかしさがこみあげてきた。いつものように、奥の手といきたいところだが、もう頭も体も動いてはくれなかった。
「信幸……ごめん」
 今は結界陣のなかに完全に引きずり込まれた畠山が、苦悶の表情で俺を見ていた。
「気にするな。相討ちでも、充分世の中のためにはなるさ……」
 覚悟を決めた時だった。
「甘いわよ」
 聞き覚えのある声がしたかと思うと、聞き慣れた真言の詠みが聞こえてきた。
「天魔外道皆仏性四魔三障成道来魔界仏界同如理一相平道無差別呪詛諸毒薬諸欲害身者還着於本人……オン!」
 いままでとは比べ物にならないくらいの光芒が辺りをつつみ、何もかも光のなかに消し去っていった――。
「やったぞ、信幸!」
 薄れゆく意識の中で、畠山のそんな声が聞こえたような気がした……。

 体を誰かが揺する感覚で目が覚めた。
「この……ばか!」
「ぶっ! ひっぱたくことはないだろう、人のことバカって言う奴が、本当のバカなんだぞ」
「馬鹿はそっちの方だ! 誘い込むのだってあんな無茶なことをして……」
「相手は二人。俺は一人。距離をとれば疑って近寄ってこなかったろうし、他に方法はなかったんだ。俺は俺に出来ることを。お前は、お前だけしか出来ないことをした。それだけだよ」
「でも……」
「それをやったのは、薫さんじゃないわよ」
 口淀む畠山の口先を制した女の子の声……、畠山の後ろに立っていたのは、俺もよく知っている娘だった。
「天音ちゃん!」
 それは普段、オカルト研究会まで兄を訪ねにやってくる、畠山の中学生の妹、畠山天音だった。
「薫さんだけじゃ不安だって父さまが言うから、あたしも応援にきたの。でもまさか、せっかく信幸が必死でチャンスを作ってくれたのに、わざわざそれを潰すような真似をするなんて……。
 どういうつもりなの、薫さん!?」
 天音ちゃんの口調は厳しい。普段から自分の『能力』に自信を持ち、プロ的な意識を持ってる彼女にとっては、途中で攻撃を止めたのは妹である自分と、信幸への二重の裏切りに見えるのかもしれない。
「……だって、わたしのせいで、またこんな怪我を……、ごめんなさい……」
「あ〜、もういいよ。結果オーライだったんだから、いいじゃん!?」
 結局、また涙ぐむ畠山をなだめるのに、そのあとしばらくそこで、頭をなでてやる羽目になった。まったく、今回のこいつはよく泣く。
「もう、信幸は薫さんには甘いんだから……」
 天音ちゃんはぶんむくれて不満そうにしている。この子はまっすぐなんだけど、そこが逆に欠点なのかもしれないな、と思う。
「今回は無事だったんだからいいさ。それに……」
「それに?」
「こいつをあんまりいぢめると、俺の方が悪い事してる気がしちまうからな。
なんか、男らしくないことしてるみたいでさ」
 畠山の頭をくしゃくしゃになでながら、苦笑いして天音ちゃんに応える。
「……そうなんだ」
 なぜか、憮然とした顔をする天音ちゃんだった。
 その後、倒れたままの二人を畠山の別荘に収容し、全員仮眠をとることにした。まだ太陽は真上を指していたが、いままでの過酷な時間を耐えぬいた体は、またたく間に眠りの中に導いてくれた……。


 全員が目覚めたのは、次の日の夕方だった。ボロボロだった自分はともかく、畠山や天音ちゃんも眠りつづけていたということは、方術を使うことは相当に体力を消耗するということらしい。
 最初は誰もがねぼけていたが、二条姉妹が騒ぎ出したので、それどころではなくなった。
「ここは何処ですか。あ〜、頭と喉が痛い……どうしたのかしら」
「あんた達誰よ、わたしたちを誘拐したんでしょう。いい度胸ね」
 とんでもない誤解だった。優子さん達が手をパキポキと鳴らしだしたので、慌てて畠山が主にここの土地の伝説と、僕たちのしたことを詳細に話した。
「ふーん、そうだったんだ……。私たちはね……」
 彼女らの話によると、車で別荘に着いて、青白い火の玉を見たのが記憶の最後だったそうだ。それ以降は、寝ぼけて夢でも見ているような心地だったという事だった。天音ちゃんによると、強い意識が体に入り込むと、元からの精神が圧迫されて正常な意識を保てないらしい。
 そこで、畠山がチラッと振り返ると、
「彼があなた方を助けて上げた功労者です。お礼を言うのならば彼に言ってあげてください」
 と、僕を紹介してくれた。おおっ、ちゃんと約束を忘れていなかったか……、僕に水を向けてくれるなんて、偉いぞ、我が心の友よ。
 二人の視線が僕の顔に向く。もうあの怖い視線じゃない。人間のもつ温かさのある視線だった。やっぱり、「ありがとう!」とか言われて抱きつかれちゃったりするのかな〜ふふふ。
『あ〜〜っ、あんたあの時の痴漢!』
 そんな僕の期待は、彼女たちの第一声でもろくも崩壊した。
「な、なんなんですか、それって……」
「だって、私たちの胸とか触りまくったじゃないですか、確か」
「うん、そーそー」
 智恵子さんの言葉に相づちをうつ優子さんを見て、あの別荘での脱出劇の時を思い出した。
「わたし、二回もまれました」
 智恵子さんの言葉に、その場がしーんと静まり返り、気まずいムードが漂う。
はうっ! 後ろの畠山達からの視線も冷たいような……。
「それに、信幸君て、あのサークルのなかに居たときだって……、私たちの体を捕まえてかいぐりとかしてたでしょ?」
「うんうん」
「あの状況で、んなことする余裕あるわけないじゃないですか〜」
「……いや、信幸ならばそのくらいは出来てもおかしくない。普段からなにを考えているかわからない奴ですからね」
 すっくと、静かに畠山が立ち上がる。
「信幸、ピンチだと思ったから助けてあげたのに、そんなことしてたなんて!」
 あう、天音ちゃんの瞳も燃えている。こりゃ、聞く耳もたぬって感じ!?
 気付くと、四人の好戦的な視線にさらされていた。もうやる気満々ですね……。
「女の敵は『血染めの優子』が許さないわよ」
「その精神を鍛え直すのも、武道を目指す者の務めですね」
「オカルト部副部長として、部員の不始末のけじめはつけないとね……」
「あたし、堕落したことする男ってきら〜い!」
 ここは、あのセリフを言わねばなるまい。言わなくても同じだけど。
「オ、オラオラですかぁ?」
『オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ』
「うぎゃー」
 武原信幸、完全敗北……。

「……というわけで、やっぱりこうなるみたいだね、武原君」
「くぅぅ、おのれぇちょこざいなぁ……」
 床にのびている僕の前で、畠山のやつが二条姉妹に背中に抱きつかれて、ご満悦の様子だった。 
「てやんでい! なんでこんな結末になるんだい?」
「だって、わたしが結界を張ったから二人を助けられたわけだからね」
『ね〜〜っ』
 畠山の背中で姉妹の声がハモる。なんか、見ていてかなり不愉快な光景だ。
 こいつが女にモテる光景はわりと見慣れているんだが、今回は不公平過ぎる気がするぞ。なんなんだかなあ……。
「ははは、武原君元気が無いぞ。今回も勝負はかち……わひゃあああ」
 だが、畠山の勝ち名乗りは、間の抜けた声と共に途中で途切れた。
「なに?」
「うふふふ……」
「うふふふ……」
 見ると、いつの間にか畠山の首筋に手を廻してた二人が、首筋に向かって交互に息を吹きかけていた。
「あ、あう、あう……」
「ふふふ、畠山君て体の線も細くてかわいいのね。わたし好きだな……優子姉」
「智恵子もそう? この『少年』って感じの顔だちと、細い指もいいわよねえ」
「う、うひゃ。なんなんですかぁ、二人ともぉ」
 畠山のやつも、この予想外の展開に驚いて逃げようとしているが、二人に巧みに押さえ付けられているらしく、身動きの出来ないようだった。二条姉妹の腕っぷしの強さが、こんなところでも発揮されているらしい。
 そして、二人の妖しげな手つきは止まらない。
「は、はう、はう……やだよお。やめてください二人とも。怒りますよ!」
「ふふ、またその顔がいいのよねえ……。ぞくぞくしちゃうわ。もっとそういう顔して欲しいなあ」
「わたしはもっと、気持ち良さそうにしている顔を見てみたいなぁ……。こんなに敏感なんだから、もっと開発したらすごく悦んでくれそうだし」
 二人とも憑依されてた時とは、また別の意味でのトロンとした目つきで、恍惚とした表情をしていた。この間も絶え間なく二人の「マッサージ」は続いた。
 最初は、からかわれていい気味だと思っていたらしい、天音ちゃんだったが、二人の様子がただならない事に気付いたものの、どう対処したらいいか、リアクションがつかめなくて動けないらしい。
 ちら、と僕の方を見て「どうするのよ?」と視線で問いかけてきたが、(そんなの、僕だってわかりっこないだろう?)
 と、返すしかなかった。
「くう……はう、はう……はああああん!」
 最後に女っぽい黄色い声をあげると、畠山はくてっとなって、二人に身を預けてしまった。
 優子さんが征服欲に満ち足りたような顔をして、
「ふふ……こういう子のこういう顔を見たかったのよね〜」
 と、つぶやくと、
「でも、わたしはまだ見足りないなぁ……あ、そうだ」
 と、智恵子さんがぽんと手を叩いて、急に僕達二人に視線を向けた。
 二人ともびくっと我に返る。
「この子、貸してくれませんか?」
 ニコッとした顔で智恵子さんが言った。その笑みには見覚えがあった……、僕の「第二次接触作戦」が失敗した時の顔だった。
「せっかく、遠く離れた土地で出逢ったんですし、私たちも彼と『つもる話』でもしたいなあ、と思いまして」
 智恵子さん、つもる話って再会した人に使う言葉じゃ……。
「そそ、だって畠山君は私たちの命の恩人だもの。たっぷり『お礼』だってしたいわ〜。ウチのお風呂は温泉ひいているから、彼にも入ってほしいし。ここらで温泉ひいてる別荘ウチだけだし、ちょうどいいでしょ? ね、ね?」
「まあ、確かに温泉は気持ち良かったですけれどねぇ……」
 ちょっと予想外の展開になって思考停止してたけれど、連れていく、となるとちょっと話が別だ。
「……信幸君、賛成してくれたら、セクハラの件帳消しにするわよ?」
 優子さんは今度は懐柔策に出てきたらしい。弱みをうまいこと突いてくる。
政界に出たら、外交顧問とかで名を上げそうな気がする。
「……いいですよ、別に」
 僕より先に畠山を差し出したのは、妹の天音ちゃんだった。
「元々、薫さんは女の子をからかうようなところがあって、前々から妹としていけないなあ、と思っていたんですぅ。
 うふふ、煮るなり焼くなり好きに『料理』しちゃってくださいぃ〜」
 笑いを必死でこらえながら、
「薫さんも社会勉強になると思って、がんばってらっしゃ〜い」
 と、手を振るありさまだった。
 ちら、と畠山を見ると、抱きかかえられた状態で目だけこちらを見ていた。
 あれって、『助けて』ってことなんだろうなあ……、ま、妹が許可してるならいいか。
「やっぱ、部員の不始末は副部長がとる、というのが筋ですね。
 ……畠山、その身をもってして、俺の不始末を償ってきてくれ」
 かくして、オカルト部副部長の運命は決した。
「じゃ、また明日の朝来るからね〜。ほほほほほ、畠山……いや、薫くん。今日はこれから長い一日になるわよ〜」
「な、長いって、どんな一日なんですか〜!」
「大丈夫ですよ。痛い事はありませんからね」
「痛い事ってなんなんですか〜!」
 どっかで以前見たようなパターンの会話を見た後、畠山を担いだ二人はあっという間に、夕方の薄闇の向こうへと消えていった……。
 かすかに、「この薄情もの〜」という悲鳴が聞こえたが、二人とも無視をしたのは言うまでもない。仲間とか家族といっても、こんなものである。
「しかし、あれがショタコンというものだったのね……恐ろしい」
「どっちにせよ、僕がお姉さんを取られたということだから、負けには変わりがない気がする……」
 二人とも見送った後の玄関先で、それぞれの思いに頭を悩ませるのだった。


 目が覚めると、畠山の別荘に戻っていた。昨夜の事は夢だったかも、と思ったけれど、天音ちゃんに泥だらけの足を指摘されて現実だったことがわかった。
 もちろん、床のモップがけをやらされたのは言うまでもない。しくしく。
 二人で軽く朝食をとっていると、チャイムが鳴った。
「信幸くーん、あたしー、開けてー」
 玄関を開けると、やたら元気そうな二条姉妹と、やたらげっそりしている、オカルト研副部長がいた。
「ごめんね、天音ちゃん。お兄さん借りちゃって〜」
「いえ〜、全然構わないんですよ〜。きゃはははは。……で、どうでした?」
 天音ちゃんが、優子さんに負けずまたパワフルに応答する。それを智恵子さんが応えた。
「ええ……、あれから三人で一緒に『お料理』を作ったりしたんですよ〜」
 智恵子さんはにこにこしている。
「へ〜、それならウチと同じ〜。信幸と一緒にバーベキューしたんだよ〜」
 食べたの、ほとんど天音ちゃんだけどね。
「……なにか言った?」
「いえいえ、なんでもないですよ〜」
 ちぃ、『能力者』だけに鋭いぜ。
「そして、お風呂に入ったりして仲良く『ごちそう』になったんですよ〜。とってもおいしかったよね、優子姉?」
「うん、とってもおいしかったよね〜。ほんと、ごちそうさまでした」
 二人の妙にひっかかるキーワードがあったり、満足感のある笑みが、何か含んでいるような気がするんだけど……。
「ふ〜ん、じゃ楽しかったんだ。行かせてよかったね、信幸?」
「あ、ああそうだね」
 素直に受け止めている天音ちゃんの問いに、背中から冷汗がどっと出た。
「あれ、そういえば薫さんは?」
「ここに固まってる」
 僕がソファーごしに隠れていた畠山をひきずって連れてきた。なんか様子がおかしい。ひとの足を盾がわりにして、それ以上二人に一歩も近づこうとしなかった。
「ふふ、薫くんたら照れているみたいですね」
 いや、智恵子さんの言葉とは正反対に、妖艶な黒猫二匹と脅える子犬、という図式に見えるのだが……。まあ、ここで余計なツッコミをいれると危険そうだから、やめておくとしよう。
「じゃ、私たちは実家に帰りますね。皆さんには本当にお世話になりました」
「信幸君にも世話になっちゃったな。また縁があったら会おうね」
 二人は軽くお辞儀すると、畠山邸をあとにした。と思いきや、またドアが開いた。
「あ、ひとつ言い忘れていた。薫くんもまた遊ぼうね〜」
「も、もう結構です!」
 優子さんが投げキッスをして扉を閉めると、今度こそ車のエンジン音が遠ざかっていった……。
「なんか、嵐みたいな人達だったね……。でもいい人達だったかな?」
「そうだね。変わってるけど悪い人達じゃないな。また会えるといいね」
 ちょっと苦笑する天音ちゃんに、そう答えた。
「冗談じゃない! もう関りたくなんかないよ」
「こら、いい加減人の足にしがみつくのはやめろって。一体なにがあったんだよ? ……ん?」
 しょうがないので、足を振りほどいてしゃがんで畠山の視線にあわせて訊いてみた。
「……ちゃった」
「え?」
「食べられちゃった」 「あ、なんだって……?」
「何度も聞くなよ〜、信幸のばか〜!」
 ずっと何かに落ち込んでいた畠山は、急に大きな声を出すと二階へ駆けていってしまった。
 もしかすると、今回いちばん大変な目にあったのって、あいつかもしれないな。自分の予想を越えたタイプの人間がいる、と知っただけでも、まあ勉強になっただろう。ふふふ。  あいつには悪いが、いつも学校でヘコまされている身としては、たまには、いい薬という気がする。
 不意にリビングは静けさを取り戻す。考えてみればまだ朝だ。まだゆっくりしたっていい時間だ。ずっと慌ただしかったから、自分も少し休もうかな、と思った。
「――ねえ、信幸」
 振り向くと、ぽす、と天音ちゃんが胸にとびこんできた。ちょっと驚いたが、雰囲気から冗談ではないことはすぐに判った。
「――どうしたの?」
「……、わたしもやっぱり薫……さんの影でしかないのかな?」
「『聞いた』の?」
「……うん、聞こえちゃった。ごめん」
「そっか」
 同じ『能力者』同士にありがちなジレンマだ。僕の中の沙羅さんの記憶――。
「あたし、沙羅さんみたいにお姉さんの影にたって、盛り立てていってあげる事なんて出来ない。あたしだって、みんなに認めてもらいたい。
 もう知ってるでしょ? わたしの家ってこういう事を専門にしている家系なんだ。でも、家を継げるのは長男か長女だけなんだって……。父さまだって、薫さんのことばかり見てる。
 わたしの方が法術だって上手に使えるのに! でも、だめなのかな……って思うときがあるんだ。努力していればなんとかなると思っていたけれど、沙羅さんの話を聞いちゃったから……」
 必死で走り登りつづける階段。それが丸ごと崩れ落ちてしまうような不安感。
そんな暗闇に脅えているようだった。普段は元気で気が強い子だけれど、やはり年下という事なのかもしれない。
「――ま、あんまり気にする事も無いのさ」
 ぽん、ぽん、と頭をたたくように撫でながら、話しかける。かつて母さんにしてもらってた事を、今は自分がしている事が不思議に感じる。
「自分が思っているほど、ひとは悪く思っていたりはしないよ。なまじ僕たちは人の心が見えたりする時もあるから、余計に簡単に本音を他人に見せない人に、不安を感じちゃうんだよ。
 それに――」
「それに?」
「僕でよかったら、いつでもこうやって話を聞いてあげる。それじゃダメかい?」
「えぇ〜、信幸が〜?」
「なんだよ、不服か?」
「……まあ、いいや。我慢しといてあげる」
 へへっ、と天音ちゃんの顔に笑みが戻った。やっぱりこの子は笑ってる方が似合っていると思う。
「じゃ、この辺りの散歩でもしよっか。気分転換にはいいぞ」
「うん、じゃ薫さんも呼んでくるね」
 いつものフットワークを取り戻した天音ちゃんが、「兄さーん」と声をあげながら二階に上がっていった。

 ほんとに変わった兄妹だと思う。この二人に関ってからというもの、僕の生活は一変して慌ただしい限りだ。ゆっくり休む暇も無いくらいだ。
 ……でもそれが楽しいのかもしれない。今回も命に関るような危ない出来事だったが、すでに僕の内ではいい思い出と変わりつつあった。この二人と一緒にいることで、自分もまた癒されているのかもしれない。
 そして、智恵子さん達とも知り合う事が出来た。同じ空の下にいるのだ。またいつか会うのが楽しみだ。
 春の空と夏の空が同じ空でも少し違うように、僕も変わっていきたいと思った。思い出とともに。
「信幸ー、連れてきたよー!」
 天音ちゃんの声がリビングまでおおきく響く。
 まだ、僕たちのエネルギッシュな季節は始まったばかりだ。

(おわり)
                    1999/12/08 AM05:30


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